急性大動脈解離を経験して思うこと。死に際の美学とは?

投稿者: | 2017年9月26日

2012年1月20日。
それは突然やってきました。
スタンフォードA型の急性大動脈解離を発症。

業界団体の賀詞交換会。
その立食パーティ中に、突然それは発症しました。
お客さんとお話ししている時に、体の奥の方で、熱湯が心臓から腹部に向かって駆け抜けていく感覚。
胸を押さえながらその場を中座して、椅子に腰掛けました。
一緒に同席していた上司から、「大丈夫か?」と声をかけられ、それに応じようと立ち上がった瞬間に、失神して倒れ込んだのでした。

30秒ほど失神していたようですが、目が覚めてからの時間感覚はあまりありません。
救急隊がやってきて、そこから病院へ救急搬送。
常に上司が一緒にいてくれました。

病院に到着してから各種検査が続きます。
そして、しばらくしてから、病名が医師から告げられました。
「急性大動脈解離」

この病気のことはよく知っていました。
以前に、この病気の手術時に使う薬剤を販売していたからです。
緊急手術が必要で、いつ破裂して死んでもおかしくない状態。
まさに死に際に差し掛かっていたのです。

「早く手術しないと破裂して死んでしまう。早く手術して欲しいなぁ」
その時は、おぼろげながらにそのようなことを考えていました。

いざ手術、となって、ストレッチャーで処置室から手術室へ移動する時、外でずっと待機していた上司から、「がんばれよ!」という声援を頂きました。
私はその時、律儀にも頭を持ち上げて、
「ありがとうございます。色々迷惑かけて申し訳ありません」
というようなことを言った記憶があります。

これが上司と会うのが最後になるかもしれない。
そんな瀬戸際の瞬間でも、咄嗟に出た言葉と態度はそんな感じでした。
一言でいうと、最後まで「律儀なサラリーマン」でした。

死に際の態度として、それが良かったのか悪かったのか?
無事生還できた今になって、たまに考えることがあります。

よく「死に際の美学」なんて言葉を耳にします。
死に際した時に、どのような振る舞いをするのか?
できれば、美しく、かっこよく死にたい。
人は誰しもそう思うものでしょう。
それは主義として大事なことかもしれません。

でも、死に際を経験して思うことは、死に際にこそ普段の生き様が出てきてしまう、ということ。
生き様と死に様はイコールである、ということ。
今回の経験を通じて得られた教訓は、そのようなものでした。

結局、死に際を良くしたいのならば、普段の生き様も良くすること。
生きることと、死ぬことはイコールの関係。
良く死ぬこととは、今その瞬間を良く生きることなのだと気付きました。

だから、今この瞬間を良く生きること。
私は未熟者でそれを実行できてはいないのですが、肝に命じておきたい言葉のひとつです。

 

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