もし今日が人生最期の日だったら、自分は何をするだろうか?
これは究極の質問です。
そんなことを考える必要なんてないのかもしれません。
でも、その質問によって気づかされることは多々あります。
自分の人生で使える時間には限りがあります。
誰しも、時間が無限にあるわけではありません。
人生には限りがあるからこそ、その時間を大事に使わなければなりません。
このことは、冒頭の質問とほぼ同じ意味を持ちます。
毎日をいかに良く過ごしていくか?
そこを突き詰めていくこと。
人生における重要なテーマでもあります。
大動脈解離という病気。
発症すると命に関わります。
そしてそれはいつ起こるか分かりません。
大動脈解離を起こした経験のある人は、再発という時限爆弾と常に向き合っていかねばなりません。
だからこそ、毎日を良く生きたい、と願います。
でも、それを深く考えすぎるのもまた、あまり意味のないことです。
イメージと現実は常に乖離するもの。
そこを思い悩むことになれば、本末転倒です。
人生には過程があります。
若い時期、壮年の時期、老年の時期。
その時期によって、その瞬間瞬間で感じられる価値観は違ってきます。
何が楽しいのか?何が悲しいのか?
何が正しいのか?何が悪いことなのか?
それは日々流転するものです。
今日が人生最期の日だったら、自分は何をするだろうか?
その答えは自分の中にあります。
その瞬間瞬間で感じられる価値観の中で、正しいと思うことを行うこと。
無駄と思えることに時間を使うのはもったいないです。
毎日を良く生きること。
その難しいテーマに向かいあっていきたいと思います。
今日は休日の日課となった浅草へのお散歩。
お正月の準備を終えた浅草寺には、今日も多くの観光客が押し寄せています。
この街には、元気なエネルギーが満ち溢れています。
そのいいエネルギーに触れることで、私も自然と元気が湧いてきます。
浅草は私にとって大事な街。そんな浅草が大好きでたまりません。